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レビュー(Amazon.co.jp)
???スコセッシ、スピルバーグら多くの巨匠が映画化を熱望したベストセラーを、『ラン・ローラ・ラン』のトム・ティクヴァが監督。数キロ先の匂いも嗅ぎわけるという、類い希な才能を持った青年グルヌイユが、香水調合師となる。究極の香りを求める彼は、その“素”として女性の肉体にたどりつき、次々と殺人を犯していくのだった。18世紀のフランスを背景に、シリアルキラーの物語ながら、映画全体にはどこかファンタジックな香りが立ちこめる異色作に仕上がっている。
???グルヌイユが産み落とされる魚市場、一面の花畑と、誰もが感じるものから、「濡れたカエルの手の匂い」など不可解なものまで、その場の匂いが漂ってくるような映像が必見。女性の死体から香りを採取するために使われるマニアックな道具も見どころだ。これまでも映像と音楽の関係にこだわってきたティクヴァ監督は、クライマックスの大群衆シーンでその才能を発揮し、観る者の度肝を抜く世界を展開していく。匂いにとりつかれたキワモノ的主人公に、いつしか共感を誘われてしまうのだから、この映画、ただものではない。(斉藤博昭)
カスタマーレビュー 
その男が作った「究極の香り」に世界はひれ伏す
(2008-11-02)
その究極の香りに世界はひれ伏す・・・
全世界で1500万部以上の売り上げを記録したベストセラー小説の映画化。
特異な嗅覚を持つ“自分自身は体臭のない男”の狂気を追うサスペンス。
18世紀のパリ。魚市場で産み捨てられたグルヌイユは成長し、果物売りの少女の香りに魅了されます。誤って彼女を殺してしまった彼は、心惹かれた香りを再現するため香水の調合を学び、やがて究極の香水を作り出すために若く美しい女性を次々に殺してゆきます。
ハイライトは、捕らえられ、処刑される寸前のグルヌイユが撒いた、完成された「究極の香り」に群集が皆我を忘れて裸になり愛し合い始めるシーンで、CGなどを使わず撮ったこの場面は異様な迫力がありました。
匂いに満ち満ちた映画 数奇な香水調合師の生涯
(2008-09-27)
邦画だったら、母に汚物とともに廃棄されそうになった誕生悲譚、犬並み?の嗅覚という異能など、悲しくも珍奇な宿命を背負って生まれた男の生き様に涙を誘わせたことだろう。
ハリウッド映画なら、「沈黙の羊たち ハンニバル」のように主人公を怪物に仕立て上げ、例えば拉致した美女を煮詰めるなどという驚愕の残忍シーンで目を覆わせたことであろう。
・・・はて、この映画はフランス映画だったか?
すべてが中庸で、涙もなければ、残忍な仕掛けもなく、ひたすら甘美な香りが漂い、しかし、冒頭と終幕はグロと美の対極でバランスをとっている。なんといっても最終シーンの、あっと驚き、かつ華麗な展開に観客もまた刑場に見学に来た市民たちと一体になるだろう。ついに完成した究極の香水の威力が発揮されるのだ!
妻には社会的メッセージがなくてもの足りず、娘にはグロさがなくてもの足りず、しかし、夫にはその華麗なシーンの連続に・・・?、そして珍しい、匂いの充溢したシーンの全幕に満足するのである。
極めつくした香水調合師(パヒューム)の最後の野望として、窮極の香水を調合すべき人倫の道を踏み外すといった通り一遍の物語にはしたくなかったであろう製作者側の気持ちは分からないでもないが、主人公の異能をもっとお披露目してもらいたかったし、もっと刺激的な仕掛けも欲しかったし、涙も欲しかった。その上での終局の華麗さを映えさせてもらいたかった。
究極の香水もなんだか「いってみればフェロモンでしょ?」という技術大国の日本人はあっさりいってしまえるシロモノのようだが、これは映画のせいではないだろう。
自然の純粋な力の前に人間は無力だ
(2008-09-06)
嗅覚が人知を超えて優れている男の数奇な物語。その優れた嗅覚に導かれるようにして、男は香水の世界に身を投じ、最高の香りを求めて研究を重ねる。エジプトの伝説に語られている香水に含まれている最後の成分は何なのか。男は処女の体臭にたどり着く。
映画を通して感じたのは才能という自然の純粋な力の前に人間は無力だということだ。男は意思ではなく、何か他のものに動かされている。終盤、男は愛を支配する力を得た。これは世界を支配することを意味する。しかし、男はそれに無頓着で目的を達成した後は自らを素通りしていく愛に囲まれて死ぬことを選んだ。
才能は男の人生を崩壊させたのでもなく、美しく彩ったのでもない。孤児として奴隷同様の生活を送らざるを得なかった男にはもともと人生という物語を語れるだけの権利を認められていなかったし、才能によって得られた力に対して男は無頓着だからだ。才能は、単にその男の下に偶然訪れ、そしてその男とともに去っていった。
ひとついえることは、男はその才能に対して純粋だったという点だ。もし、男がまともな教育と人並みの幼少時代を送っていたなら才能はここまで開花しなかったかもしれない。あまりにも世間に無知だったから、純粋に神の声に従うことができたのではないか。教育というのはこの自然の純粋な力(暴力)を飼いならし、人々の変化の少ない平和な生活を維持するために機能しているのではないかと考えさせられた。
あんまり嗅ぎたくない感じ
(2008-08-24)
絶対音感ならぬ絶対「嗅」感を持った男ジャン=バティストが、究極の香りを求めて殺人を重ねる――そんな物語だから、この作品には映画という視聴覚的な表現で、どれだけ嗅覚を刺激できるのかという難題がつきまとう。そしてそれは、対象を徹底的に醜く、逆に美しく描くだけじゃ成立しない。その対象に登場人物がどうリアクションをとるか、とか、それが取り巻く環境をどう演出するかもとても重要。
それを強く意識した魚市場でのジャン=バティストの誕生シーンは、もう臭そうというレベルを超えて、一刻も早くこの場から立ち去らなきゃ死ぬと思いたくなるほど臭ってる。「おぉ〜やるじゃん、『ラン・ローラ・ラン』とは違うじゃん」とこれでテンション上がって見進めて行くと、主人公がパリを出た辺りから急速にそのテンションが失われていき……。
嗅いだことのない、知覚できないような(服脱ぎたくなるような)香りを嗅いだ気には、結局のところなれなかった。それはなぜか。最初、女の匂いをクンクン嬉しそうに、ありがたそうに嗅いでいたジャン=バティストが、結果出来上がった香水に全く興奮していなかったから。いつの間にか性的興奮や倒錯というより、ストイックな職人になっちゃってて、で、最後はあんなおかしなことになっちゃうし、もうちょい丁寧にできなかったものかと。
自分の中で賛否両論
(2008-08-20)
まず一ついえるのは不思議な映画であるということ
全体的に映像もきれいで役者の演技もうまい
そして何より不陰気が映画を際立ててる
しかし無理があることで作品のリアリティを下げすぎている
エンディングがその典型的な例である
笑わせようとしていないコメディのようになってしまっている。
純粋な映画好きにはおすすめしない作品かも


